はじめに
水俣病の捉え方は様々です。今でも申請をためらったり、救済を受けた人がその対象者であることを言えない状況があったりと、水俣病への偏見は救済策が進むなかでも根強くあります。その最も象徴的なこととして、被害者、犠牲者でありながら、名前や顔写真ですら水俣病資料館に展示できないという状況があります。
私がこの「水俣病への偏見と差別」に向き合うようになったのは、40代半ばのときでした。自分の生まれた地域のことを隠し、水俣病でなくした肉親のことを語れない苦しみを長い間体験しました。そして「隠すこと、語らないことが水俣病で苦しんで亡くなった人たちの命を軽んじているということ。尊重していないということ」に気付かされました。水俣病に偏見を持ち、水俣病患者を差別していた自分自身が問われました。
自分の意志とは関係なく水俣病の運命を背負わされた人達。人間が作り出した科学が数多くの生命や自然を壊し、地域が分断されて行く、その実態を目のあたりにしました。水俣病は半世紀以上が経った今でも、病像や認定、補償などの裁判が続くなか、被害の全容も解明されずに閉塞感が残ったまま、風化の一途をたどる恐れが心配されます。
水俣病資料館の語り部13名は、小、中学生、修学旅行生など年間2万を超える人たちに講話を行っていますが、それぞれに症状を抱えながら、加齢とともに語ることも容易ではない状況になりつつあります。これからは、水俣病に関心を持つ若い人たちが水俣病の「教訓」を語り継ぎ、語り部として、証言者として歩み始めてほしいと願っています。
水俣病の学習会や講演会、地域の人たちからの聞き取り、語り継ぐ活動をされている先進地への見学などを重ね、水俣市立水俣病資料館や多くの関係機関、関係団体とともに20年後、50年後の子どもたちに私と同じ経験を繰り返させないために、ここに「水俣病を語り継ぐ会」を発足させ、活動を開始します。
今後、会員の募集や会の法人化、寄付の呼びかけなどを行います。多くの方々のご協力をお願いいたします。